佐賀県佐賀市に本社を構える株式会社中村電機製作所は、防爆専業メーカーとして防爆電気機器の設計・製造・販売などの事業を展開しています。「Z世代と呼ばれる若い世代のスピード感には驚かされますし、とても尊敬しています。だからこそZ世代について理解し、そのスピード感と我々世代の知識と経験を融合できたら、企業にとって大きな力になると思います」と語る社長の中村様。BottoKの研修を受講した経緯、その後の変化についてお話を伺いました。社名:株式会社中村電機製作所(Webサイトはこちら)業種:防爆電気機器製造販売/製造業従業員数:70名課題:管理職教育都道府県:佐賀県取材にご協力いただいた方:株式会社中村電機製作所 代表取締役社長 中村信夫様<目次>株式会社中村電機製作所について− 中村様のプロフィールを、お聞かせください中村電機製作所 代表取締役社長の中村信夫と申します。昭和49年4月生まれ、今月で50歳になりました。私は中村電機製作所で社会人1年目を迎えました。設計、製造、営業、製造現場などの部門がある中で、製造現場へ配属になりました。当時、まだまだ若かったのでしょうか。現場で身体を使って汗をかくような仕事をしながらも、心のどこかで「社会人とはもっと厳しいものではなかったのか」という思いが起きていました。抱いていた社会人像とのギャップを感じており、このままでは怠けてしまい楽な方に流れてしまうのではないか…。そのような思いを抱えながら仕事を続けることに、心の中で折り合いがつかなくなり、1年ほどで一旦退社しました。その後、3、4年ほど全く違う仕事をしていました。プロのスノーボーダーを目指した時期もあり、弊社で本格的に仕事を始める前の若い時期は、それなりに上手くいかないことや様々な経験をさせてもらえたと思っています。他社での社会人経験を経て、中村電機製作所に改めて入社することになりました。以前と同じ製造現場で働いたら、考え方や環境も変わらず、同じことの繰り返しになってしまうのではないか。そこで心機一転、東京営業所で営業職としてキャリアをスタートしました。20代は東京で営業、その後、購買・製造現場や総務にも従事し、4年前、社長に就任しました。中村電機製作所の創業者は私の祖父に当たります。父が2代目を継ぎ3代目は叔父、私で4代目となります。目下、4代目社長として業務に邁進しているところです。− 事業概要など、教えていただけますか1946年、佐賀県佐賀市高木瀬町において鉱山用電気機器の修理サービス業務会社として創業しました。1955年、現在の「中村電機製作所」の称号となり、九州営業所のほかに大阪支店、東京支店を開設。1967年、本社及び工場を現所在地へ移転し、現在に至っております。主な事業内容は防爆機器の開発、製造、販売です。防爆機器の専業メーカーとして、今年11月で創業78周年を迎えます。「”防”ぐ」と「爆発の”爆”」と書いて「防爆(ぼうばく)」と言います。可燃性のガスや蒸気、粉じんが空気と混じり合うと、爆発性雰囲気を生成します。爆発性雰囲気に高温の物体や機械的な摩擦、電気火花などの点火源が触れると、火災や爆発が発生してしまいます。火災や爆発が起こり得る、空気中に可燃性物質が存在する場所のことを「防爆エリア(危険場所)」と呼びます。このような危険場所で電気機器を使用する場合には、その場所に適した防爆構造を施した機器を用いる必要がある、と法令で定められています。弊社はそのような防爆構造を施された電気機器の製造販売をしているメーカーになります。危険場所と言いますと、石油精製・石油化学工場、化学プラントなど常に可燃性ガスが発生しているところ、発電所など爆発の誘引を避ける必要があるところ、可燃性物質を含んだインクを製造・使用している塗装工場などで、日頃、私たちが立ち入るような場所ではないのですが、唯一身近な施設といえば、プロパンガスの充填所などになります。防爆の事業分野は、市場の大多数を占める顧客のニーズに応えるものではないのですが、一部の顧客には絶対的な需要があるというニッチな分野となります。それゆえ、競合と呼べる企業は国内で4、5社。最近では海外企業の進出も見受けられますが、それでも7、8社ほどで市場を構成しているような状況です。各社それぞれ得意分野があり、弊社では「耐圧防爆構造」「本質安全防爆構造」の2つを特に得意としています。また、製品の種類の多さも弊社の特徴の一つです。ご期待を超える製品・サービスによるお客様満足度の追求という「感動経営」で、社会に貢献すべく全従業員総力を上げて努めています。従業員数は約70名です。多くは製造部門に従事しており、就業場所は本社所在地にある製造工場になります。製鉄、造船・重機プラント、電力・ガス、化学関係など、多岐にわたる業種の企業様とお取引実績があります。佐賀県に本社はありますが、実は東京での受注が約5割、大阪が3割、九州が2割といった構成になっております。お取引企業様の本社窓口が東京に多くあるためで、私自身も数ヶ月に1度、東京や大阪の営業支店へ出向いています。抱えていた課題− BottoKとの出会いについて、教えていただけますか?佐賀県の異業種勉強会にBottoKの代表坂田さんが参加されるようになり、それからのお付き合いです。この異業種勉強会というのは、佐賀県や福岡県にある企業の経営者など、業種を問わず集まっています。現在11社の方々が1ヶ月に1回集まり、参加者の企業決算書を見ながら、経営のことについて勉強しています。− 研修を受ける前、どのような課題がございましたか?1年に1〜2回ほど、従業員と直接面談をしています。管理監督者から「 今の若い人たちの考え方についていけない」「何を考えているのかわからない」「どういうコミュニケーションをとればいいのかわからない」「どういう指導方法をすればいいのかわからない」と、「わからない」という声が非常に多く聞こえてくるようになっていました。管理監督者の年齢構成としては、現在50歳以上が多く占めている状況です。新入社員はそれこそ高校を卒業して入社してくる10代の社員も在籍していますから、世代間のギャップはあって当然ですし、自分自身が若い頃も同じだったのではと思います。「若い人の考えていることはわからない」といったことを、上の世代の人たちも同じように感じていたと、今振り返るとそう思うんですね。ただ、自分たちが上の世代になってきた今、「若い人たちのことが分からないなら、分かりたい!」と、Z世代の特性を知りたい、学んでみたいという意見も、出るようになっていました。Z世代の若い人たちは、本当にスピード感があります。会社経営者として、このスピード感はとても大事なことだと思っています。次々と開発され市場に出てくるメディアに対して、若い世代の人たちは驚くような速さで、躊躇することなく調べたり触ったりすることができます。このスピード感には本当に感心しますし、尊敬しています。我々の世代は経験や知識がある分、それが邪魔をする状況が起こりやすいと思います。例えば、何か新しいことをする時、ボタンを押す、クリックする、その手がピタッと止まるんですね。なかなか次に進めない。でも、この若い人たちのスピード感と、我々世代の知識や経験が融合すれば、良い仕事ができるのではないか、目標や実績の達成により近づくのではないか。そういう点でも、Z世代について学ぶことは大変重要だと思っていました。− 研修を受けることになった経緯を教えてください勉強会で坂田さんと知り合い、経営の話にとどまらず色々とお話させていただいていた中で、私自身インプットしたいことと坂田さんのアウトプットすること、そこがマッチしていると感じていました。ちょうどその頃、Z世代の育成などに関して課題を感じていたのですが、BottoKさんで「管理職のためのZ世代を理解した育成方法」の研修を提供できます、とのお話を伺い受講することにしました。他社や交流のある企業が開催している研修情報は収集していましたが、最終的にBottoKさんの研修を選択した決め手はフィーリングです。もともと勉強会でご一緒していたり、マッチしているという感覚があったり。何より坂田さんの話し方、ペース、言葉の選び方、お話がすっと入ってくるんですね。Z世代のような若い人たちも含め世代を問わず、坂田さんのお話ならきっと耳に入りやすく、簡潔にわかりやすいお話をしていただけると感じたので、受講を決めました。やはり、講師の方との相性や信頼関係は大切だと思います。研修を受けた感想とその後の変化− 研修はどのような内容でしたか?研修にはリーダー職、管理監督者が約20名ほど参加しました。Z世代の特性や社会人としてそれがどう表れるかというお話、 Z世代に必要な支援などを学びました。行動様式に視点をおいた世代間のギャップなど、これまでぼんやりとイメージで抱いていたものを、具体的な表現や事例により解説。世代間の違いをしっかり認めることで、より理解が深まるような内容でした。学んだことが実践しやすい内容であったと思いますし、研修の参加者には「ちょっと考え方を変える」「まず自分自身のものの見方を変える」、そのような行動の変化がすぐに現れていると感じました。− 研修後の変化などはございましたか?この研修を受けて何かが変わる、といった変化に対する期待感というより、参加者たちがこの研修でどういう反応を示すかという、やや好奇心のような思いの方が強かったです。参加した管理監督者の平均年齢は50歳を超えています。アレルギー反応のような、「そうは言うものの、やはり」「とはいえ」といった声が出ると思っていたんですね。ところが、柔軟性を持った姿勢で講義内容を学び、研修後に実践する姿も見受けられたことは、想像していた以上の反応でした。昨年、受注から出荷までを可視化できるような基幹システムを導入しました。このシステム導入にあたり、20代の若い従業員たちが中心となって、自主的に会議を企画・開催しています。会議では50代、60代の従業員に呼びかけ、新システムの仕組みや操作方法をこの20代の従業員が教えているんです。50代、60代も知識や経験を元に、若い従業員の話をしっかり聞いています。若い世代のスピード感と、我々の世代の持つ知識と経験がまさに融合している、そんな光景がみられたように感じました。今後について− 研修をふまえて、今後はどのようなことに取り組まれるご予定ですか?弊社では約15年前から「わっかもん塾」と言う従業員の勉強会が、就業時間内の2時間、年4回ほど開催されています。参加者は元々は30歳以下だったのですが、現在は40歳以下の従業員で構成されています。毎回自分たちでテーマを出し合うような、自主的な勉強会にはなっているものの、学ぶ、能力を高めるという点では、なかなか運営も難しいと感じていました。「一引き二才三学問」と言うことわざがあるのですが、これは「出世するには上の立場の人からの引き立てが一番大事、次に才能、三番目に学の有無ということ」という意味です。これはまさに、中小企業の管理監督者に当てはまると思っているんです。特に中小企業において管理監督者に職位が上がっていく人材というのは、上からの引き上げが一番多いと感じます。いかに上から可愛がられるか、というところなんです。2番目が才能で、3番目が学問や能力。おそらく今まではそれが自然で一般的だったと思います。それでよかったのだと思うのですが、変化のスピードが早い今の時代において、このままではいけないと強く感じるようになっています。この加速度的に変化するスピードに対応するためにも、2つ目の才能・3つ目の学問といった能力の部分を伸ばさないといけない、そう思っています。前述の「わっかもん塾」では年齢を基準に構成していましたが、年齢ではなく将来のありたい姿、なりたい姿でコースを作るような新しい研修を考えているところです。正式名称はまだ最終決定ではないのですが「マネジメントコース」「プロフェッショナルコース」の2コース、来期が始まる6月からスタートする計画です。「マネジメントコース」では管理職を目指す社員を、「プロフェッショナルコース」では製造工程のスキル・職人ワザをしっかり身に付けたい、という社員を集めます。1年間で計画的に学べるような研修内容で、組み立てていこうと思っています。「マネジメントコース」では、部下のモチベーションを高く維持する、部下が成長し組織が動く、そのようなリーダーシップを向上させるような研修を考えています。ゆくゆくはBottoKさんのお知恵をお借りしながら、サポート頂けたらとも考えています。− どのような研修に、関心がありますか?中小企業の経営スタイルが過渡期の今、社内研修の要否も経営者の考えそれぞれです。「一引き二才三学問」の能力や学問は二の次三の次、という組織風土も根強く残っているのも事実。そしてまた、私と同世代の中小企業の経営者は、おそらく社員教育の必要性を十分なほど感じていながらも、その組織風土から脱却できないジレンマに陥っているのも事実だと思います。無料のセミナーや研修は、中身が薄くやはり無料だと感じる内容であることが多いです。有料であれば、もちろん知識や提供する情報など充実した内容だと思います。ただし、中小企業の経営者や責任者が研修にコストをどれだけかけるか、となると難しい問題になってくると思います。ちょうど世代交代を迎えた企業では、社員教育に対してあまり必要性を感じていない場合、研修価格によっては受講の決め手となるハードルが上がると思います。 会社にとって有意義な研修内容と理解しつつも、現状を考慮するとその価格帯では手が出せない、といった状況も起こると思います。そういう点では、中小企業でも導入しやすい価格帯であったり、キャンペーン期間やセット価格の設定をするなど興味を引くようなサービスがあれば、今後導入を検討していきたいと思います。− 御社の今後の事業展開について、お聞かせください弊社では、「防爆技術で日本一」と「100年企業存続を目指す」の二つをビジョンとして考えています。一人ひとりができるところから、少しずつ変化をしながらチャレンジしていこうと、全従業員で会社の方向性や目標を共有しています。以前は、地域の中学校、高校、短大などの学生を対象に、工場見学を開催していました。新型コロナウィルス感染症の影響を受け、この数年では実施できていませんでしたが、地域とともに成長し地域を元気にする、という思いはやはりあります。佐賀県にはお取引企業様が数社しかありません。それにもかかわらず、こうして何十年も佐賀県で事業を継続させていただいています。若い世代から熟練した確かな技術を持ち合わせている世代まで一丸となり、会社も社員も共に成長しながら、引き続き佐賀県に恩返しをしていきたいと思っています。※掲載内容は取材当時のものです。