「学べる」シニアに出会った瞬間約半年程前になるが、とある企業で「Z世代の育成方法」というテーマでセミナーを行う機会がありました。対象は管理職15名程で、年代は40代〜60代ほどです。セミナーが一旦落ち着いた時に質疑応答を行うと、様々な質問が飛び交いました。「経験前学習が大事だということは理解できた。ただ経験前に教え過ぎると考えない人材になってしまうと思うがどうか?」「Z世代のデジタルネイティブの特徴を踏まえた適性業務はありますか?」「Z世代とランチをする時のネタが分からない。オススメのyoutuberを教えて」「若い世代に意見を促しても中々自分の意見を述べてくれない。何か良い方法はないか?」「Z世代と言う世代一括りで考えることより、個別の性質を把握したマネジメントが大切だと感じるが、その点はどのように考えているか?」それぞれの質問に答えると、質問をした管理者は熱心にメモを取る、そして追加の質問が更に飛んでくる。セミナーは大いに盛り上がり、終了時、参加者一人ひとりが一言感想を述べる際に、とある最年長の管理職の方からこんな言葉をいただきました。「自分たちはZ世代について正直よく知らない。こちらが学んで行動を変えなければ行けないと思っています」私が、「なぜそこまでして学ぼうとされるんですか?」と投げ掛けると、「今までのマネジメントスタイルが駄目だと理解してますので...」と何かを悟った目をして話されていました。学べる「シニア」はごく僅か正直、冒頭の事例のような企業に出会う確率はごく僅かで、「学べない」シニアに苦労されている企業は多く存在します。とある企業で管理職研修を実施した際には「自分達のマネジメントスタイルについて来れない若手に責任が大いにあるのでは」と責任転嫁の意見で埋め尽くされたり、またある企業で50代向けのキャリア研修を実施した際には「定年まで残り僅かだからキャリアとかめんどくさいことは考えたくない」と半ば研修を放棄する姿勢を取る参加者に遭遇したりしました。そして、このような学べないシニアは往々にして客観評価と自己評価のギャップが激しく、周りから見ると単に「痛いシニア」のレッテルを貼られているケースが多いです。人事は、彼らに少しでも生産性を上げもらおうといわゆる施策を打ち出そうとするが、学べないシニアは施策を嘲笑うかのように学ばない姿勢で対抗します。決して受け入れようとしない。それが「学べない」シニアの実状です。「学べる」シニアと「学べない」シニアの違い改めて、「学べる」シニアと「学べない」シニアの違いは一体何なのか?私が今まで出会った「学べない」シニアには、過去の成功体験を経て、自分なりの方程式が完全に出来上がり、その方程式が使えない問題に出会うと「この問題は自分の方程式で対応できる範囲外の問題である、故に私は対応しない(なぜなら失敗のリスクがあるから)」と言わんばかりに問題を拒絶し、相手にしない傾向があったと感じています。そんなことを悶々と考えている時に『アンラーン戦略 「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す』の著書に出会いました。アンラーンとは「学習棄却」や「学びほぐし」などと訳され、学びの第一歩を説く際によく出てくる言葉です。著書の中では、成功への固執が一つの要因と述べています。勤勉に働くことによって望みをかなえ、常に正しい答えがわかっていて、初回から成果を出すというのが「成功」の一般的な定義だ。だが、成功の捉え方次第では、それ自体が障害になりかねない。成功することで、アンラーンへの意欲と好奇心が阻害されかねないからだ。良い結果を出した経験があると、そこから得られた報酬や称賛につながると思われる行動に執着するようになる。良い結果のせいで、それとは違ったやり方にトライしたがらなくなってしまう。失敗するのが怖いから。何であれ、悪い結果が出るのは嫌なのだ。人は成功すればするほど、これまで実行していない方法や代替手段を試すのを怖がる。自分の輝かしい記録や名声、あるいは個人のブランドが壊れるのが怖いからだ。バリー・オライリー. アンラーン戦略「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す (Japanese Edition) (p.69). Kindle 版.そして、この著書では何かを改めて学ぶ際に、脱学習(過去の成功体験を捨て去る学習)こそが最初の一歩目として重要なポイントだと説いています。〈アンラーンのサイクル〉の最初の一歩を踏み出すには、われわれのやり方、行動、信念が、自分の潜在力や現在のパフォーマンスを阻害していることを認める勇気と自己認識、謙虚さが必要だ。脱学習に取り組みたいことを特定し、次にそれを再学習するために意識的に練習する。こうすることで新しいアプローチに心を開き、行き詰まりから解放される。バリー・オライリー. アンラーン戦略「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す (Japanese Edition) (pp.96-97). Kindle 版.要は何かを学ぶ=再学習する前に、まずは捨て去る=脱学習を始めない限り、学ぶためのキャパを生み出せない。脱学習を意識的に進めることが再学習するための第一歩であることが述べられています。脱学習(過去の成功体験を捨て去る学習)は立派なスキルこのように考えると、脱学習は成功体験を積めば積むほど難しくなることが理解できます。禅と禅が現れる以前の著作物をまとめた『ZenFleshZenBones』という本に「一杯のお茶」という寓話が記されています。南隠は客人にお茶を供し、器にお茶がいっぱいになってもまだ注ぎ続けた。あふれてこぼれるお茶を見ていた教授は、とうとう我慢できずに言った。「禅師、お茶はもういっぱいです。もう入りませんよ」すると、南隠は言った。「お前さんはこの器と同じなんですよ。お前さんの心は自分の考えや意見で満ち満ちておる。まずはお前さんが自分の心の器をカラにしなければ、私がどう禅を語っても、わかってもらえるはずがないではないか」ポール・レップス,ZenFleshZenBonesこの寓話の客人ように、自分の考えや意見で満たされいる人は、学ぼうとしても学ぶ器がそもそも無い。冒頭の事例に登場した最年長の管理者の方は何処かのタイミングで「このままではいけない」と脱学習するタイミングがあったからこそ前向きな姿勢で研修を受講されたと思います。脱学習を組織で意図的に設計したか、偶発的に本人が体感したかは分かりません。ただ、いずれにせよ過去の成功体験を捨て去り「今の世代の価値観を知らなければマネジメントができない」と腹を括っているからこそ、あのような発言が出てきたのだと推測できます。自分毎に捉えても過去の成功体験を捨て去ることは非常に怖いものです。果たして40代、50代になった時に脱学習できるか。自分でも正直自信はありません。故に、既に脱学習し、新しい知識・スキルを身につけるべく日々向上に努める人に深い尊敬を覚えます。